児玉美月さんによる
Introduction

三島有紀子にとって十作目にあたる本作『一月の声に歓びを刻め』は、当初は自主映画の企画としてはじまった。三島自身が幼少期に受けた性暴力事件が基になっており、これをいまどうしても映画にするためには、自主映画でなければならなかった。第四一回モントリオール世界映画祭コンペティション部門審査員特別大賞をはじめ、数多くの賞を受賞した代表作『幼な子われらに生まれ』(二〇一七年)のほか、『しあわせのパン』(二〇一二年)、『繕い裁つ人』(二〇一五年)、『Red』(二〇二〇年)など商業映画のなかに作家性を込めてきた三島が、オリジナル脚本による本作でその作家性をついに遺憾なく発揮する。長回しがふんだんに鏤められた流麗なカメラワークに加えて、それは「声」を重要なモチーフとする本作の計算され尽くした音響設計にも十全に立ち現れている。本作の出航のきっかけとなったのは、短篇映画プロジェクト『MIRRORLIAR FILMS Season2』(二〇二一年)に収められた『インペリアル大阪堂島出入橋』だった。三島の故郷である大阪の堂島を舞台にした同作のロケハンで訪れた場所で、偶然事件の犯行現場に遭遇した三島は、自身の過去を映画にすることを決意。それから『一月の声に歓びを刻め』の旅は、幕を開けた。

 三つの物語の舞台には、北海道の洞爺湖、東京の八丈島、そして大阪の堂島がそれぞれ選ばれた。第一章の洞爺湖篇で、性暴力の被害を受けて亡くなってしまった娘を忘れられない初老のマキを演じたのは、カルーセル麻紀。カルーセルはトランス女性の当事者としてよく知られているが、マキを演じるにあたり、これまでのカルーセル自身のペルソナを剥がすように薄化粧姿で熱演を見せている。第二章の八丈島篇で、妻を交通事故で亡くし、娘の妊娠に動揺しながらも受け入れてゆく父親の誠役には、数々の映画に出演してきた俳優の哀川翔がキャスティングされた。ぶっきらぼうながらも娘を深く愛する父親を演じた哀川は、繊細な所作のひとつひとつに心情を宿らせていると、三島も信頼を置いている。第三章の堂島篇で、六歳のときに性暴力の被害に遭ったトラウマから誰とも触れ合えずにいたれいこ役には、いま最も輝く若手俳優のひとりである前田敦子。抑制された演技からはじまり、感情が流露される終盤にかけてエモーショナルに高まってゆく難しい役所を、見事に演じ切った。こうして自主映画であったにもかかわらず、本作には屈指の俳優たちが集結した。

 近年になって、ますます議論の俎上に載せられはじめている性暴力の問題。映画界においてもまた例外ではなく、作品の内外でそれは波及していっている。そうしたなかで世界的なひとつの動向として挙げられるのが、性暴力描写を直接的にスクリーンに映し出さずに主題を訴えかける作品の増加である。『一月の声に歓びを刻め』は三つの独立した物語が、三島の実際に受けた性暴力事件を一本の糸として緻密に縫われているものの、決してそれのみに終始した作品ではない。暴力それ自体を捉えようとしているのではなく、むしろ薄皮一枚でこの世界に潜む、人の人生を決定的に変えてしまうほどの暴力を巡った異なる立場の人間たちの“ 生” こそをつぶさに見つめようとしている。

 傷ついてしまった者を救えなかった者、傷つけてしまった者、傷つけられてしまった者……。永遠に「普通」の幸せを奪われてしまった者もいれば、その裏で誰かを傷つけておきながら何食わぬ顔で「普通」の幸せを享受する者もいるだろう。三つの島に割り振られた物語が抱え込む地理的な距離は、そうした残酷を浮き彫りにしながら、同時にひとつの海によって繋がる人間同士の連関と希望を示してもいる。ひとりの人間が発したか細い声は、はるか海を越え、波に乗り、どこかの誰かへと届くかもしれない。これは声なき声で繋がるすべての人の物語なのだ。引きちぎられてしまった花を、燃やされ朽ちてゆく花を、それでも「美しい」と誰かがいう。命に付随した美しさは、どんな暴力をもってしてでも剥奪できない。

 映画によって救われ、映画に人生を捧げてきた三島は、自身の過去を物語に昇華して伝えるために、やはり映画を選んだ。そして、映画の力を信じる作家だけが到達できる人間讃歌がここに生まれた。『一月の声に歓びを刻め』は、間違いなく映画作家・三島有紀子の新境地を開く。獰猛な太鼓の音にさえ掻き消されないほどの、尊厳と実存を懸けた声がいま、上がろうとしている──。

児玉美月(映画文筆家)